「9条改憲」不同意こそ、唯一最大の安全保障

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「9条改憲」不同意こそ、唯一最大の安全保障
政策も人物もというのは欲張りでしょうか
「9条改憲」不同意こそ、唯一最大の安全保障
2007/06/19
                                                          矢沢国光
 ここ30年あまり沈黙を守ってきた世代の間にも、安倍改憲に反対する運動が急速に広がりつつある気配を感ずる。
 6月15日には、日比谷野音に、「9条改憲に反対する」の一点で一致する「高齢者から若者まで」が、1000名集まり、銀座デモが敢行された。
 翌6月16日には、政治団体「9条ネット」の10名の参院選候補者の一人となることを買ってでた、かつての70年安保闘争の学生リーダー・成島忠夫君の後援会結成式があった。
「9条改憲反対」の積極的な意味
 ところで、さまざまな「護憲勢力」の9条改憲反対の理由を見ると、
・「戦争のできる国」に道を開くことに反対
・「国是としての9条」の維持
・戦争に反対し、世界に平和を
 といった言葉が並ぶ。
 いずれも。もっともな主張であり、反対する理由はない。
 しかし、今日の世界情勢を見たとき、「9条改憲」が、日本にとっても世界にとっても、重大な選択となることが、これらの言葉だけでは、伝わらないのではないか。
・「9条は、日本の最大にして唯一の安全保障」
・「9条改憲は、日本の安全保障を危うくする。」
という認識が必要ではないか。
「押しつけ憲法」から脱却する道
 改憲論者たちの主張する大きな論拠の一つは、「アメリカ占領軍によって押しつけられたものであり、日本の人民が自主的に制定したものではなかった」と言うことである。
 これに対して、「押しつけではない」として、戦争放棄や人民主権の憲法を主張していた日本人グループの存在と、その憲法制定過程への影響を実証する調査もある。あるいは「押しつけであろうとも、よいものはよい」と開き直ることもできよう。
 1946年2月13日にマッカーサー案が日本側に手渡され、日本側が作成した対案は、一蹴された。内閣は、3週間後の3月6日には、マッカーサー案をほとんどそのまま内閣の憲法草案大綱として公表するしかなかった。憲法の制定過程から見れば、米占領軍によって「押しつけられた」ことに間違いない。

 問題は「憲法が押しつけられた」ことだけではない。明治憲法の「大日本帝国」が「大東亜戦争」で崩壊したあとの戦後日本で、どのように新しい社会を作っていくのか、――「戦後日本」を「押しつけられた」ことに問題がある。
 「戦後日本」のあり方についての「押し付け」は、憲法制定過程で終わったわけではない。米ソの冷戦体制への移行―朝鮮戦争・米軍事作戦への日本の全面協力―サンフランシスコ講和条約・日米安保条約、という1946年〜51年の一連の過程――「日本の戦後」のあり方を決める一連の過程――が、「米占領軍による押しつけ」と言うことになろう。こうしてできあがった「戦後日本のあり方」とは、一口で言えば「日米安保体制」にほかならない。「日米安保体制」そのものが「押しつけ」であって、憲法だけが押しつけではないのだ。

 さらに言えば、「押しつけ」とは言っても、それを受け入れ、むしろ積極的に利用した政治勢力があったからこそ、「占領軍に押しつけられた戦後日本」は、「占領軍のいなくなったあとの日本」においても、定着し続けたのである。
 たんなる「押しつけ」でないことは、憲法が天皇制を残していることに、端的に表れている。日本の保守支配層は、天皇制の護持を、最優先事項として要求し、マッカーサーも、天皇制を占領統治の手段として利用できることに気づいた。

 いま「9条改憲」を要求している勢力は、「日米安保体制」という「戦後日本のあり方」そのものの変更を要求していることになる。論理的にそうなる、というだけではない。「戦後レジームの改変」という安倍政権のスローガンが、そのことを示している。「9条改憲」の目標は「戦争のできない半国家から、普通の国家へ」――そのための「戦力の保持」「交戦権」――であるが、「戦力の保持」の究極の姿は、今日の世界では、核武装である。安倍政権の中からはすでに、「日本核武装論の解禁」の声が上がっている。

 「9条改憲」に反対するということは、「これからの日本のあり方」として、核武装はもちろん、いかなる戦力も保持せず、交戦権を持たないという道――すなわち憲法9条の宣言する道――を、この21世紀初頭の国際情勢の中で、改めて日本国民が選択することである。
 この選択によって、9条は、「押しつけ憲法」から「主体的に選び取った憲法」になる。
「戦力の保持」が戦争を招く
 レーニン「帝国主義論」は、「金融・独占資本主義」による地球上のすべての地域の市場・植民地分割が完了し、その「再分割」をめぐって軍事的衝突に至るのは必然であるとし、最初の世界戦争である「第一次世界大戦」を「帝国主義戦争」と規定した。「資本主義の経済的矛盾が帝国主義戦争を必然化する」という見方は、「マルクス主義」の共通理解であったといえよう。
 だが、歴史がそんなに単純なものではないことは、今日では大方の人が認めている。
 第一次世界大戦に「経済的必然性」などなく、「ちょっとした軽薄な行為」が、戦争を勃発させた。「主要国のおのおのが、軽率にも短見と無責任によって戦争勃発に荷担した」(キッシンジャー『外交 上』、231ページ、日本経済新聞社、1996 )。キッシンジャーは、第一次世界大戦の「戦争責任」について「ヨーロッパ諸国は、近代技術と大規模な徴兵制度が、全面戦争を彼ら自身の安全およびヨーロッパ文明全体にとって最大の脅威としてしまったことを理解せずに、バランスオブパワーの政策を軍備拡張の政策に置き換えてしまった」という。ドイツは、19世紀後半、軍備拡張に走り、軍事大国になった。この軍事大国の出現を脅威として、ドイツの隣国(ロシア、フランス等)は、相互の防衛に結びついた。「これにより、ドイツが自国の安全のために追求したものが、自国の安全を脅かす主因に変わってしまったのである」(キッシンジャー、前掲書)
 ジョージ・ケナンも、第一次世界大戦について、次のように語っている。「誰かがこの戦争を故意に開始したとか、これを計画したとか言うことはできない。この戦争は始めから悲劇的な、何ともしようのないものであった。」(ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』岩波現代文庫)
 大国間の戦争を引き起こすものは、特定の経済的動機ではない。経済的に見れば、戦争ほど大きな経済的損失をもたらすものはない。
 大国が、自国の安全保障のためにする軍備強化が、他国にとっての脅威となる。そして、「相手国が戦争を仕掛けてくるのではないか」という危惧が「やられる前に相手の軍事的脅威を取り除く」戦争への誘因となる。
 つまり、局地的な紛争は別にして、大国間の戦争を引き起こすのは、究極的には、戦争の態勢そのものである。戦争が、絶対王政の傭兵軍同士の戦いというレベルを超えて、国民と産業の国家的総動員態勢によってなされる近代戦争においては、そして「臨戦態勢」が恒常的なものとなった現代においては、「軽率な短見と無責任」が戦争を引き起こす。ブッシュのイラク戦争は、こんな、一見たわいのない「歴史の法則」が真実であることを示している 。
「戦争の放棄・戦力の不保持」こそ最大の安全保障
 日本が憲法9条で「戦争放棄」を宣言したとき、日本は、空襲と貿易の途絶で産業が壊滅状態に陥り、児童生徒はアメリカからの援助物資による学校給食で、空腹を逃れていた。「戦争放棄」は、天皇制を残すことを他の戦勝国(ソ連、オーストラリア、インド等)に認めさせるためのマッカーサーの便法であった、とも言われている。すべての軍事力を放棄させられ、戦争能力のゼロになった日本の「戦争放棄」とは、将来の問題に過ぎなかった。
 だが、いまは違う。世界第二位または三位の「経済大国」であり、軍事予算も、英仏を追い越して、米に次ぐ。核兵器とその運搬ミサイルの開発技術を持つ。潜在的な軍事大国である日本の「戦争放棄・戦力の不保持」の姿勢を日本がとり続けるかどうかは、周辺諸国――特に、ソ連にかわって世界大国となりつつある中国や韓国・北朝鮮――にとって、決定的ともいえる大きな意味を持つ。
 日本がもし9条を放棄し、戦力の保持と交戦権の保持を宣言するならば、「日本の軍事的脅威」に対して、アジア諸国は、軍備強化をもって対応するに違いない。それはまた、日本に対する軍事的脅威となり、果てしのない軍備競争へと、エスカレートしていく。そして、軍備競争が、通商・経済交流に対する国策的な制約の発動にいつ転化するやも知れぬ。そうすれば日中間の「経熱政冷」の現実に見るごとき、「通商の自由が政治的対立を抑制」している現状から、その反対の「政治的対立が通商を制約する」方向へと、一気に振れる危険性がある。
 国力があっても「戦争を放棄し戦力を持たない」姿勢の堅持を全世界に向けて宣言するまたとない良い機会――それが「9条改憲阻止」の大きな意味ではないだろうか。日本は、この宣言によって、周辺諸国の脅威を(完全に、とは言えないが)大幅に取り除き、周辺諸国の日本に対する軍事的備えのエスカレートを阻止することができる。これこそが、日本にとっての最大の、そして唯一の、安全保障の道である。
日本の安全を脅かす小泉外交と安倍改憲
 ぎゃくに、いま日本の安全を脅かしているものは何か。
小泉外交――「アメリカ追随」「ブッシュのイラク戦争への荷担」そして「靖国参拝・中国敵視」――は、日本の国際的地位に関して、いかなる変化をもたらしたか。
 独・仏がイラク戦争に反対し、イラク戦争を支持した英国・ブレアもまたその誤りを認めて退陣する中で、先進国の中で唯一日本だけは、イラク戦争荷担の誤りを認めていない。
 これは、とても大きな問題である。というのは、世界で一番「危険な国」は、イラクでも北朝鮮でもイランでもなく、中国でもロシアでもなく、アメリカであった、と判明したからである。
 危険な国とは、どんな国か。自らのイデオロギーを武力によって他国に押しつけようとする国である。スターリンのソ連もそのように見られた。西側諸国はNATO、日米安保等でソ連に対する「封じ込め」体制を構築した。毛沢東の中国も、「人民戦争の輸出」をねらっていると見られたときがあった。いまでは、ソ連は崩壊し、中国は資本主義化し、欧米や日本との通商拡大に、経済発展の道を求めている。
 アメリカのブッシュ政権だけが、気に入らない体制に対しては武力発動も辞さない、という姿勢をとり続けている。アメリカは、しかもそれを実行するだけの軍事力を持っている。
 そのアメリカの軍事的脅威に対して、中国とソ連は「上海機構」で、対抗する体制を作っている。中国は、海軍の増強に努め、宇宙空間でのミサイル競争でも、アメリカに対抗する力を付けつつある。
 安倍政権はすでに「集団的自衛権の見直し(解釈改憲)」――日米安保体制があるのに、日本は「アメリカに守られるだけで、アメリカを守れない」現状からの脱皮を――に向けて、検討委員会を立ち上げた。「集団的自衛権の行使」とは、現実には「日米共同軍事行動」であり、それは「解釈改憲」から「9条改憲」へとつながっている。安倍のねらう9条改憲が、えりに選って、アメリカとの共同軍事行動という形で現実化しようとしていることは、9条改憲――「戦力の保持・交戦権の保持」の宣言――に対する、より深刻な国際社会の反発を招かざるを得ない。「北朝鮮の核とミサイル」を日本にとっての脅威と、安倍政権は宣伝しているが、北朝鮮の核保有は、アメリカの軍事的侵略の脅威――イラク戦争は、それが杞憂でないことを示した――に対抗するものであって、日本に対するものとは、考えられない。だが、日本が解釈改憲なり9条改憲によって、アメリカとの「双務的な集団安保」へとふみこむならば、そのときは、北朝鮮も、中国も、そして他の周辺諸国も、日本を軍事的脅威と受け止め、対抗措置をとることになる。安倍政権の解釈改憲・9条改憲は、こうして、日本の安全保障を脅かすものとなっている。
ドイツと日本――この違いはどこに?
 同じ第二次世界大戦の同盟国にして敗戦国でありながら、日本とドイツの歩んだ道は、どうしてこんなに大きく異なってしまったのか。ヒトラーの政権掌握を許し、ヒトラーに付いて周辺諸国に侵略の駒を進め、就中、ユダヤ人600万人を含むホロコーストを国家として行った歴史を、国家の汚点として認め、そのようなことが二度と起きないことを国内政策・外交政策に組み込むほかに、欧州大陸の国として、生きる道はない。こうした判断の上にドイツの選択した道は、宿敵フランスとの和解を軸として、欧州石炭鉄鋼共同体→欧州経済共同体(EEC)・欧州原子力共同体→欧州連合(EU)→欧州共通通貨ユーロ、という道であった。欧州連合への第一歩が「石炭鉄鋼」の共同管理からスタートしたことは、象徴的でもある。なぜなら、石炭・鉄鋼は、軍事生産に不可欠の資源であり、ドイツが石炭・鉄鋼をかつての敵国フランス等との共同管理に委ねたことは、戦争の放棄を宣言したことに等しい。欧州石炭鉄鋼共同体は、ドイツの「憲法9条」だったのである(ただし、より主体的実質的な戦争放棄)。こうして、ドイツは、「欧州国家」の中にドイツ国家を解体・止揚していく道を歩むことになる。
 ユーロの実現は、欧州最強の通貨ドイツ・マルクの自己否定なくして実現しなかったものであり、中央銀行の発券機能という、経済的には最も重要な国家主権をあえて放棄したことに、ドイツの「欧州国家に生きる」決意の本物であることを見ることができる。
 軍事的には、冷戦体制下で東西分断国家となったドイツが、NATO体制という形でアメリカの戦略体制の中に組み込まれてきたのであるが、ソ連崩壊、東ドイツの西ドイツへの併合、NATOの戦略的意味の消失という中で、イラク戦争反対を契機として、アメリカ軍事体制からの自立に向かっている。
 こうしたドイツの戦後の歩みにわれわれが見るのは、第一次世界大戦,第二次世界大戦という史上最大の「愚行」からドイツが真摯に学んでいる姿である。人類は愚行を犯すこともできるが、そこから学ぶこともできる――第二次世界大戦後のドイツの歩みは、そうした希望を与えてくれる。

 それに引き替え日本の支配層は、アメリカの冷戦体制に日本を組み込む、という政治的利害によって、「天皇制を残し、戦争放棄する」ことで、マッカーサーと合意した。日本の支配層にとっても、マッカーサーにとっても、憲法9条は、天皇制維持という占領統治手段を国際的に認めさせるために必要、というほどのものであった。ドイツが、独仏の提携を軸として欧州超国家に生きる道を求めたのに対して、戦後日本の支配層にとって、「戦力の不保持・戦争の放棄」は、戦勝国向けのポーズに過ぎず、第二次世界大戦で侵略蹂躙したアジア諸国との関係を再構築するためにはこれしかない、という選択を示すものではなかったのだ。(ドイツは「愚行」から学び、日本は「愚行」に頬かむりする、という対照を、ここに見ることができる。)憲法9条は、日本の支配層にとって「国是」ではなかったのだ。安倍政権が、いともかんたんに「9条改憲」を口にすることのできる理由は、ここにある。
問われる日本の進むべき道
 したがって、9条改憲で問われているのは、「日米安保における集団的自衛権の行使」や「自衛隊が事実上戦力であること」を公認するかどうかといったレベルの問題ではない。
 問われているのは、第二次世界大戦という「愚行」をどのように日本が総括し、アジア諸国人民との和解・共存をどのように図っていくのか――日本のこれからの国際社会で生きる道である。
 第二次世界大戦が形式的に終了してから60年も経た今日になって、未だこうした問題に直面しているとは、奇妙なことである。奇妙ではあるが、それが現実である――冷戦態勢がその機会を日本から奪ってきた、とも言える。
 ソ連・東欧体制の自壊によって冷戦構造が――したがってNATO・日米安保体制が――解体・再編に向かい、アメリカの「唯一の超大国」の地位が、経済的政治的に掘りくずされつつあり、中国が経済的にも軍事的にも大国としての地位を築きつつあるいま、日本国民は、改めて、自らの国際社会における「進路」を選択すべき地点に立っているのだ。「9条改憲」に反対しそれを阻止することは、日本が「戦争放棄」を、日本の唯一最大の安全保障とする道として選択し、そのことを内外に、日本国民の総意として宣言する、またとない機会である。
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i 第二次世界大戦については、ナチス・ドイツに対する英仏の「宥和政策」への非難から「軍備強化」「時には先制攻撃が必要」という論がでてくる。だが、「ヒトラーの誇大妄想」に対してどうすべきであったか、という前に、ヒトラーの台頭を阻止できなかった第一次世界大戦の戦後処理(ベルサイユ体制)およびドイツ革命の敗北が問題とされねばならない。
 
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6-20 怒れ、9条 集会