私のささやかな戦争体験「三つ子の魂百までも」

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私のささやかな戦争体験「三つ子の魂百までも」
2007/07/11
                                                    成島道官
 私は1942年生まれで、敗戦時3歳です。ですから諸先輩方のような厳しい戦争体験を、自覚的に語ることはできません。ただ、1つだけおそろしい思いをした経験が脳裏に焼きついています。そして、「三つ子の魂百までも」と言われますように、それが自分のその後の生き方に影響を与えたのは確かだと思います。
母の背で機銃掃射を
 私はミカン山を背にし、前に駿河湾が広がる静岡県の田舎町に生まれ育ちました。すでに敗色濃厚なとき、静岡市や沼津市は空襲を受け焼夷弾で焼き尽くされ、清水市は艦砲射撃で廃墟にされた頃の話です。
 大きな都市と違って何もない半農半漁の私の町でしたが、飛行機の製造に欠かせないアルミニウムの生産工場が1つあったために、米軍の攻撃目標になりました。山の中腹に「監視廠」と呼ばれる建物がつくられ、米軍機が来襲しますと「警戒警報」を発令しサイレンを鳴らします。すると、住民は慌てて畑道を逃げ、山の崖に掘られた防空壕へ逃げ込むのです。ところが、あるとき、警報が遅れてしまい、私が家族に手を引かれて、まだ農道を走っている間に機銃掃射を受けました。すぐ近くのトタン屋根の小屋にバリバリバリという激しい音で銃弾が貫いた恐怖と、やっと防空壕に逃げ込んだとき見た、お向かいのおばさんの真っ青な顔は、その後ずっと忘れられませんでした。
サイレンの音に怯えるこどもに
 これは後に知ったことですが、近くの部落の乳飲み子がお母さんに背負われて逃げる途中、頭を撃ち抜かれ、その血が首筋から胸元へ流れ落ちたとき、お母さんは半狂乱になったとのことです。私に限らず、同世代の子は、サイレンの音に怯えるトラウマが残りました。
 3歳の私が実際に覚えているのは、バリバリバリという音の恐怖とお迎えのおばさんの表情だけです。あとは、少し大きくなってから人から聞いた話が間接体験になって記憶されているものです。私たちの両親の世代の皆さんは、はるかに恐ろしい体験とご苦労をされたでしょう。
朝鮮や中国大陸では
 しかし、私は、無抵抗な人々が面白半分に機銃掃射を受けたことに対する、被害者意識を語ろうとするわけではありません。逆に朝鮮や中国大陸では、兵隊としてかり出された町の人たちが、ずいぶんと残虐な行動に走った事実も忘れてはならないと思っています。戦後もかなり経ってから、私の家でお酒を飲んでいた近所のおじさんが、戦時中、大陸で中国人女性のおなかを銃剣で突き刺した話を、俺はしなかったけど……と口ごもりながら話した後、急に黙り込んでしまったことも覚えています。絶対命令とはいえ、苛酷な加害者としてふるまった、ごくふつうの日本人。
いま、イラクやアフガンでも
 これが戦争です。いまイラクやアフガンで起きていることです。若い人たちの中に、現実生活のあまりな希望のなさに、いっそ戦争でもやればいい、と思っている方がいると聞きます。あるいは戦争をゲームでしか理解できない人も多いでしょう。ですが、現実は、前線でも街中でも、生身の人間が、殺す、殺される日々なのです。それは今よりはるかに絶望的な世界だということを、ぜひ知ってほしいと願うのみです。
 
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