感銘と共感をもって一気に読んだ。成忠選に馳せ参じたすべての友人たちに一読を薦める。多忙な選挙戦のさなかにこそ、ぜひ。
全編、眼前の政治動向をリアルタイムで追ったブログ記事から成る本書は、独特のテンポで透徹したリアリズムを伝える。第一線の外交官だった筆者には、「9条」は単なる理念ではなく、国際政治の現実のただなかに生きる力として掴まれていることがわかる。改憲派の論点は「憲法」そのものより「国防と安全保障」にある。問題はズバリ「国家」だ。本書がそこに焦点を当てていることは、サブタイトル「憲法九条こそ最強の安全保障政策だ」に明解だろう。美しき理念を語る凡百の「護憲」論に何より欠けているのがこのリルな政治感覚なのだ。
その視点から著者は断ずる――「今の政治では憲法9条は守れない」(p.205)。護憲を看板にしながら党利党略で足並みを揃えようとしない野党もむろん同然だ。
そして方針を端的に提起する――「国民投票で憲法9条を守る」(p.184)。「憲法9条を国民投票で守ることができたら、それは日本の国のあり方を国民が始めて自らの手で選び取ることでもある」(p.15)。それをめざす行動が「右翼化する若者をいかに引きつけるか」を著者は熟慮する(p.187)。
これは、われわれが「6.15共同行動」日比谷集会に撒いたビラ「改憲〈国民投票〉を迎え撃て!」の観点と直接に重なっている。実に天木氏はわが同志である。
つけ加えるべきは、今「9条」がもつ国境を超えた意義だろう。独裁政権を葬り民主化を進めている韓国・台湾では、新しい憲法を創る動きのなかで日本国憲法の「戦争放棄」条項が注目されているという。そして、日本に二発の原爆を投下し、戦後の冷戦を演出し、冷戦後には中東で投機的な軍事行動を展開しているアメリカにも、日本国憲法9条に注目してきた人々がいる(本書はその一人として、ビル・トッテン氏を紹介している)。
外交官であった著者の目には、こうした「9条」の国際的な位置はクリアな像を結んでいることだろう。それに較べて凡百の「護憲」論がいかに国内的=内向的な視野に自らを閉ざしていることか。本書にみなぎる「ナショナリズム」は他国を見据えた自覚的なものだ。それは「世界」への回路を内在させている。それに対して大方の「護憲」論は、無自覚な(したがって無反省な)ナショナリズムに自閉している。それは、湾岸戦争の時に「一国平和主義」だとの攻撃に抗うすべを知らなかった「戦後『革新』ナショナリズム」の敗残の姿にみえる。
「9条ネット」は、すでにひとつの政治勢力として認知されている。“9条ネットは朝鮮総連が裏で画策して作られた政治勢力です”という右からの扇動はその証左だろう。
「9条ネットと朝鮮総連」
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51516024.html#comments 俗論におもねたこの種の攻撃に対して、本書は明解な対抗言論を用意する(p.108以下)だけでなく、対北朝鮮外交のあるべき道を示し(p.65、その他)、国際政治で日本はアメリカに見捨てられつつある状況を告知し(p.80)、古めかしい「反共」イデオロギーの現実離れを指摘してやまない(p.150以下)。まさにこの現実のなかに「9条ネット」は「改憲阻止」の旗を押し立て進んでいる。都知事選で石原選対本部長を務めた元警察官僚・佐々淳行が“天木は当選させない”とうそぶくのもそのためだろう。対立はハンパではない。戦後的「保革」の枠組みが崩れた時代の「国論」を問い直すものとなる。
著者を政治へと踏み切らせたのは、ひとりの有徳な財界人という(「はじめに」)。この天木直人という人格と行動をともにするのは、成忠にとって、そしてわれわれにとって、得がたい経験にちがいない。行動すれば人は人と出会う、その出会いから新しい道が拓ける。そこに古い観念の殻は破られ、新鮮な気が吹き込まれる。
外交官には珍しい著者の経済感覚と軍事認識を紹介したかったが紙幅がない。最後に、本書と並ぶ的確な問題提起の本を挙げておこう。
内田樹編著『9条どうでしょう』(毎日新聞社刊)
ここにもまた“国境を超える9条”が、そして“現状不満から右へ寄る若者たち”へのまなざしが、4本の個性的な論稿で骨太に提出されている。この内田氏についても、天木さんはちゃんと目配りしているのが印象的だ(p.135)。
9条に新しい息吹を! 国境に穴を穿ち9条を世界へ! 9条ネットを国会へ!
(かわだ・ひろし=改憲〈国民投票〉を考える五月企画委員会)
http://kokumintouhyou.jp/