介護保険は大丈夫か
年金騒動に慌てふためいた安倍内閣は参院選挙の日程を変更してまでそのイメージアップに躍起である。
年金問題の責任を歴代の厚生大臣や実務を担当した労働者に責任を転嫁することでふりかかる火の粉を払わんとするあり様である。「よせやい」という江戸っ子風の声があちらこちらから聞こえてくる。
年金についていえば介護保険は大丈夫かと付け加えてもいい。「コムスン」の問題は消えた年金と無関係ではない。そのうちに消えた介護保険金などという言葉も出てくるかもしれないのだ。我々は見るべきものを見ておかなければならない。
市場原理では解決できない年金問題
参院選挙のたびに浮上する年金問題ではあるが、この問題の根は深い。そしてそれは改憲問題とも深くつながっている。
安倍首相はその前政権であった小泉政権を踏襲しようとしている。「小さな政府」である。これは単純化していえば政府の財政支出を削減するということだ。公共事業や官製事業を削減し、民間に回すということにほかならない。そうすれば市場原理が働いて合理的に物事は進んで公共の名のムダは処理できるというのだ。
この一見すると合理的に見える経済政策は大きな問題を抱えている。市場に委ねれば解決が付かない問題が、人々の生活には存在することである。年金や福祉など市場原理では解決できない生活領域の問題がある。
格差問題、弱者切捨ての問題から目を背ける安倍内閣
市場原理とその外で働く経済行動は現在の矛盾である。だが、その矛盾は市場原理に委ねることでは解決しない。
市場原理の持つ合理性に惑わされてそれが放置する問題を見なかったり、また、意識的に隠したりすることは欺瞞である。格差問題、弱者切捨てなどはこの問題のありかを示している。
この諸問題を今日から未来の課題として受け止められない政治は明日のための政治ではない。安倍首相やその周辺は「小さな政府」というアメリカやイギリスの新自由主義を模倣することで、この問題から目を背けている。
その結果が年金問題で浮上しているのだ。やがては介護保険などの問題として出てくるかもしれない。国民の生活に必要な構想を安倍内閣は持っていない。
公共財を食い物にした官僚機構
厄介なのは公共政策や事業を担う組織体が官僚機構として歪んでいるということがある。例えば、「政・官・財」の癒着として国民の生活のためにある公共財を食い物にしてきたことだ。
これらを合理化し、民主化することで国民の生活ための公共事業とする課題はある。しかし、これは、生活に必要な公共投資や事業を削減することではない。生活の維持と向上に必要な公共投資や事業を担うためにこそ、既存の行政機構の合理化や民主化は必要なのだ。安倍内閣はそれを混同している。
彼らの機構改革の欺瞞はここにある。
(文責 M)