「原爆投下はしょうがない」
ちょいと一杯のつもりで飲み出したらとまらないでよく後悔するはあるが、「ちょいと気軽に口を滑らしたら大失言」という政治家の所業はしばしば見受けられる。
口軽は日本社会では歓迎されないのであるがそれにしても多すぎる。
安倍内閣になってからでも柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」が物議を呼び起こしたのは記憶に新しい。
近々では久間防衛大臣の「アメリカの原爆投下はしょうがない」という発言である。参院選挙を控えて自民党や与党はその火消しに走っている。安倍首相も厳重に注意したと報道されている。
イラク戦争は批判したが…
久間防衛大臣といえば、アメリカのイラク戦争を批判していたことがあってなかなか気骨のある政治家かと思ったりしたこともある。チエイニー副大統領が来日した折も、この久間発言を不愉快に思ったためか会うことを拒否したとも伝えられていた。
だが、安倍首相の訪米には同行し、これを修正するような発言をしていたのはがっかりした。弁解がましい発言は何だと思ったのだ。
今度の原爆発言はこの延長上にあるアメリカへのリップサービスであったのだろうか。そう皮肉ってもみたくなる。
政治家としての資質や資格
失言として大騒ぎになる政治家の発言はある一節だけを取り上げて、背景や文脈を無視しているところも見受けられるから気の毒な気がしないでもない。
特定の一節の文言だけを抜き出して解釈すれば発言者の意図したものと違ったものになりえることは十二分にあり得るからだ。それでも、逆にこうした発言では本音が出ていて単なる失言では済まされないともいえる、失言といわれる発言の評価は易しくはないが、僕らはそこから何を見出せばよいのだろうか。政治家としての資質や資格ではないのか。
見識と構想力
僕らが政治家にもとめる資格というか、条件は何であろうか。
それは政治的決断力であるか。知性であるか。人間的包容力であるか。これらは政治家の資格として重要なものかもしれないが、それを資格というと少し違うようにも思う。
僕は構想力と見識であるように思う。政治家の勇気ある決断を蛮勇と区別するのは構想力や見識の裏打ちがあるか、どうかである。失言は蛮勇といわれる発言の一種であることが多いが、多くの批判を浴びるのは見識の欠如の結果であるためだ。
政党よりは人(人物)であるという場合の基準は見識や構想力であると思う。我が成島さんは僕らの周りでは得がたいこうした資格を有する人物である。成島さんはパンチの効いた毒舌を放つことはあっても世にいう失言とは縁遠い人である。
(文責 三上治)