戦争についての見識が問題
もう大分前に流行したギャグで恐縮であるが、「臭い匂いは元から絶たないとダメ」というのを思い出した。久間防衛大臣の「原爆投下はしようがない」と言った発言と大臣辞任にいたる一連の経過を見ていてのことだ。
この人のよさそうなおっさんはリップサービスのつもりで口を滑らせただけであろうと推察もできるから、個人的にはあれこれいいたくないのだが、それでも考えさせられところはある。それは彼の政治家としての戦争についての見識である。そして、これはひいては自民党のみならず若い世代に属する政治家たちの戦争についての見識に関わるものでもある。
安倍首相などはその代表格といっていいのかもしれない。
宮沢喜一の見識
この間に亡くなった宮沢喜一元総理大臣は憲法9条の護憲派であるといわれたが、彼の戦争に関する見識ははっきりしていた。
1980年代のはじめにソ連のアフガニスタン侵攻があり、大きな問題になったときの彼の見解は見事であった。
戦争は国家的な価値判断の対立である。戦後の日本は国家的な価値判断を放棄しているから、どちらにも加担しないと。海外派兵の道を拒否するぎりぎりの判断であったと思えた。
この宮沢だけでなく戦後の保守の政治家には優れた戦争についての見識を持つ人が少なからずいた。後藤田正晴もその一人であったと目される。
そして、彼らの力が憲法の9条の擁護に寄与してきたことも事実である。
若い政治家たちの無定見
安倍首相はじめとする若い世代の政治家たちに対する危惧は彼らが戦争についてのはっきりした見識を持っていないことだ。そう推察しえることだ。
これは民主党の議員についてもいえることだ。
今度の久間発言に対する抗議の嵐の背景には安倍首相をはじめとする若い世代に属する政治家たちの戦争観や戦争の認識について危惧の声であるといえる。「冗談だよと」済まされないものを浮かびあがらせたのである。
6月26日にアメリカ米下院外交委員会は「従軍慰安婦問題に関する謝罪要求」を決議をした。これからは南京虐殺問題も浮上する。戦争について日本の見識や認識が問われる。
国家的な価値判断の対立
日本はアメリカに軍事的に従属しているから、まともな戦争観が提起できないという内弁慶的な言い訳ではなく、世界に向かって戦争についての見識を披瀝すればよい。
アメリカの原爆投下や無差別爆撃と従軍慰安婦問題や南京虐殺を同時的に批判しえる、戦争の認識がそれを可能にする。
戦争は国家的な価値判断の対立に由来する。どちらかの価値判断に加担すれば、ここでいう同時的批判は不可能である。僕は日本の若い世代に属する政治家たちにかつて宮沢喜一の発言を想起して欲しいと思う。
彼は戦争について深い認識があったこと。そのことは疑いのないところだからだ。
◆成島忠夫・憲法を語る 選挙戦突入準備後援会総結集の集い!
7月8日(日)午後6時〜9時 中野ゼロホール西館・第一学習室
(文責 三上治)
※訂正 5日から6日まで、「国家的な価値判断の対立」の節の文章が、前号のものと入れ替わっていました。お詫びして訂正いたします。