教育問題では民主党の方がよい
安倍内閣は憲法と教育を政治的課題の根幹に据えていると喧伝されてきた。
教育基本法の改定をめぐる昨年の国会での攻防は記憶に新しいところである。それを考えればこの選挙のマニフェストに教育問題が掲げられるのは当然であろう。教育問題は議論の割にはいまひとつ問題点が明瞭にはなりにくい。それは問題の所在を根底から析出することが難しいからである。それでも、自民党と民主党では大きな違いが見出せる。民主党の方が方向としてはよい。
国家管理強化を図る自民党
自民党の教育制度の改革は「学力と規範意識の養成」を目標にしており、そのために国家の教育への関与を強め、国家管理を強化するというものである。
昨年の教育基本法の改正や「君が代問題」などでの対応をみればこれは良く見て取れるであろう。戦後の自民党や保守の政治家や知識人は国家意識の欠如の克服を課題にしてきた。これを安倍首相やその周辺は踏襲しているのであるが、それは伝統的な共同意識(国家意識)の継承ということになる。
アメリカではブッシュ政権が右派宗教と結びリベラリズムと対決することで国家意識(規範意識)の形成に努めたことは良く知られているが、それなら安倍首相やその周辺はブッシュ大統領にとって右派宗教に該当するものをどこに見出そうとしているのか。僕は藤原正彦の『国家の品性』を想起する。安倍の『美しい国』がこの影響下で書かれていることを思うからだ。
武士道精神でよいか
藤原正彦のリベラル西欧批判は「情緒としての日本文化の伝統」の評価に結びつく。だが、彼は「情緒=もののあわれを知るこころ」と武士道とを同一化する。情緒という文化的伝統の評価は「武士道の批判」として出てきたことを無視する。
情緒は人々の存在にあるこころの評価であるが、武士道は支配者である武家官僚の教養であり、倫理であった。明治以降の近代国家の国家意識の根幹は武士道精神に支えられたが、情緒という伝統は日本思想として利用されたに過ぎず、元は武士道精神に対抗するものであった。国家意識(規範意識)とは関係がないのである。
「美しい国家」という意識は武士道精神からでてくることはあっても、日本文化の伝統としての「情緒」からは出てこないし情緒は美しい国家批判に結びつく。そのような契機を持っている。リベラル西欧の批判を規範意識(国家意識)の養成に結び付けられるのは武士道精神だが、これを今、日本の国家意識に出来るだろうか。
自由で民主的な感性こそ教育の課題
我々は生活の中にある、その場で育っている自由で民主的な感性を共同的意識に育て上げることが課題である。そのときそれは我々の生活の中にある日本の文化的伝統としての情緒を知るこころと矛盾なく結びつく。歴史の中にある生活現場の規範(共同意識)と戦後の自由や民主制の感性で日本の伝統的な国家意識(統治意識)を越えていくことに教育の課題もある。民主党の現場主義はよいがそこには理念の裏打ちが必要ではないか。
(文責 三上治)