成島訓子
7月9〜10日、成島忠夫さんの地元であり、私の故郷でもある、静岡に帰省しました。
9日、静岡高校の79期同窓会に出席してきました(63歳になる同期生の約350人中、44人が出席)。その数日前、同窓生4人(73期の望月彰、74期の矢沢国光、77期の成島道官、79期の私)の連名で、成島忠夫さんの支援を訴える手紙【註】を、それぞれの同期生に送ってありましたので、反応を知りたい気持ちもあったのです。
【註】→
静高同窓生の皆さまへ まず驚いたのは、ほとんどの出席者が、忠夫さんを同姓である私の主人(道官)と間違えていたらしく、「誤解のないように一言申し上げておきますが、成島忠男さんは私の主人ではありません」と挨拶しましたら、会場からどっと笑い声がおきました。
静岡市はしばらく前に清水市と合併して、郵便番号や住所が名簿と少しずつ変わっていたため、ちょっと心配だったのですが、クロネコヤマト便でもほぼちゃんと届いていて、ともかくも皆さん読んでくださっていたようなので、ほっとしました。
そのあと二次会に移ったとき、隣にすわった男性が私に話しかけてきました。「手紙に書かれてあった意見にはほぼ賛成なのだが、世の中の全体の動きは、それとは反対の方向に進んでいるのではないだろうか」とのこと。「でも、新聞などの調査によれば、いまのところはまだ改憲に反対の人々も多いようですし、とりあえず今度の選挙で9条を守るための1票を投じることが、3年後の国民投票に向けての大事な一歩になるのではありませんか」と、私は述べておきました。
その晩、実家の近くにある中学時代の恩師の娘さんのお宅に泊めていただき、いろいろお話しするうち、「この頃は世の中も政治家もどんどんおかしくなっていくわね」と彼女が言うので、「実は」と、9条ネットから忠夫さんが立候補していることを話し、持参していた手紙一式も手渡して、選挙ハガキを送ってもよい友人の方々の住所氏名をファックスで知らせてもらえることになりました。
翌日は、体調を崩している掛川市の叔母(87歳)を見舞い、戦争中の苦労話をあれこれ聞きました。当時は適齢期の男性がどんどん兵隊にとられて消えていくので、紹介された男性と焦って結婚してしまったのだが、家風も暮らし向きも実家とまったく異なっていて大変だったうえ、その相手もすぐに戦争にとられてしまい、7年のあいだ舅や姑やおおぜいの弟妹のいる留守宅を守るのに身も心もすり減らしたこと、など。「だったら、もう戦争はこりごりでしょうね」と言うと、「それはもう、二度とごめんだ」とのこと。そこでまた、成忠さんと9条ネットのことを話し、手紙一式を手渡して、ぜひ彼に1票入れてくれるよう頼んできました。
ごく短時間の帰省で、会えた人の数も微々たるものですが、ふだんは政治的な議論など苦手な私が、9条を守りたい一心で、意見の異なる人たちとも何とか臆せずに話せたことは、これからに向けて収穫だったと思います。同窓会には、現職の自民党の代議士もちゃんと顔を出していて、さすがと思いました。これからは私たちのほうも、同窓会その他の集まりには、なるべくこまめに出かけていく必要がありますね。
積み重ねと継続、人と人との信頼関係、地縁・血縁をも大切にして、9条を守り育てていきましょう!